起源主張 - おもしろ韓国ニュース速報

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2017年11月23日

韓国メディア「茶道は朝鮮半島に影響を受けた 漢字と仏教も韓国から来た むしろ起源である」と報じる

1: 2017/11/22(水) 16:24:05.42 ID:QF84W4Xe0● BE:878898748-PLT(16000) ポイント特典

sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
韓国メディアが「日本が誇る茶道は朝鮮半島に影響を受けたもの」という記事を公開していたので紹介したい。
東亜日報に公開されたその記事によると、茶道は日本文化として紹介される。建築から書道、絵画、陶器、
生け花、衣服、懐石料理、お菓子などが網羅されているからである。

こう書いている日本の茶道が好きなこの記者は1冊の日本の小説に出会った、それは『利休にたずねよ』という小説。

『利休にたずねよ』は2008年権威ある文学賞である直木賞を受賞し、日本茶道を完成した千利休(1522〜1591)の
生活を扱った小説である。千利休は日本の美意識の頂点とされる。

小説の中には千利休が確立した美の原点に、朝鮮から拉致された女性と彼が残した咲ヨ(リョクユウ)の向かいにあると書いた。
もちろん作家である山本兼一の想像である。しかし、意味するところは明確である。日本の茶道と美意識が韓半島の影響を受けた
ものである。

更にこの記者は「同作が2013年に映画化された際に右翼が強く反発した。日本が世界に誇る茶道文化が朝鮮半島から
影響を受けたことを認めたくなかったのだろう」と書かれている。

この記者は「いきなりある日突然、茶道文化が生まれるはずがない。茶道文化は中国で発展し生まれ、
韓国を経て日本に入ったと考えるのが自然だ」としている。

しかし、この小説で書かれている内容はあくまで一部想像やフィクションが入っている。そのほかにもこのニュース記事は
「漢字と仏教は朝鮮半島を経由して伝えられた」としている。

このニュースだけでなく有名なのは陶器の話で朝鮮半島は元々陶器技術があり、それが日本に伝わったという話がある。

http://gogotsu.com/archives/34825
no title


3: 2017/11/22(水) 16:25:27.27 ID:ldynA/0f0

こいつらの仏教って人んちの仏像盗む教えだし漢字なんて使ってないだろ?


6: 2017/11/22(水) 16:26:11.28 ID:Of5axN+y0

ストローがジュースの権利を主張する


8: 2017/11/22(水) 16:26:44.23 ID:cg+0Vi3P0

>>6
いい例えだな

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posted by 中島 at 07:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年11月22日

【韓国】 「利休にたずねよ」を読んで日本茶道を初めた〜夢で利休に会えたら訊ねたい。あなたの美意識はどこからきたのかと

1: 2017/11/21(火) 21:11:14.09 ID:CAP_USER

しばらく前から日本茶道を習い始めた。日本茶道の特徴は茶室に入る瞬間からすべてのことが決まっているということだ。何歩歩いて座るのか、挨拶はどのようにして湯飲み茶碗をどのように持つか…。入門コースで二カ月を超えて習ったあげく、先週末、初めて茶をたてて他の人を接待した。

茶道はよく日本文化の完結版という。建築から書道、絵画、陶磁器、生け花、衣服、会席料理、菓子などが網羅されているからだ。それでも茶道を一緒に学ぼうという日本人の知人の勧誘を受けて少なからず迷った。韓国茶道も知らないのに日本茶道だなんて…。それでも心に決めたのは一冊の小説を読んだからであった。

2008年、権威ある文学賞の直木賞を受賞した「利休にたずねよ」という日本茶道を完成した千利休(1522〜1591)の人生を扱った小説だ。茶聖で呼ばれる千利休は日本の美意識の頂点と見なされる。作家、山本兼一は小説で千利休が確立した美の原点に朝鮮から拉致された女性と彼女が残した緑釉の香合があると書いた。

もちろん作家の想像だ。しかし、その意味は明確だ。日本の茶道と美意識が韓半島の影響を受けたということだ。2013年、作品が映画化された時、日本右翼は強く反発した。日本が世界に誇る茶道文化が韓半島の影響を受けたことを認めたくなかったのだ。当時の嫌韓風潮とかみ合ってインターネットには映画を批判する文があふれ、作家に向かって「反日作家」という非難が続いた。

映画には作品のモチーフの香合が高麗青磁で出てくる。茶道を薦めた日本人の知人は「韓国博物館でみた青磁の美しさを思い出した」と言う。実際に映画の小道具を作った陶芸家は韓国を何度も訪問し高麗磁器を深く勉強したという。考えてみれば当然の話だ。ある日突然、空から落ちてくる化があるだろうか。

茶文化は中国から始まって韓国を経て日本に入ったというのが定説だ。茶道は韓中日で各々発達したが、日本は形式美を極大化して「道」に昇華させたのが特徴だ。隣あう韓国と日本は歴史的に多様な経路を通じてお互いに文化的影響を及ぼした。漢字と仏教は韓半島を通じて伝えられ、朝鮮茶碗は日本で「城一つに匹敵する」という評価を受けた。一方、近代西洋文化は日本を通じて韓国に伝えられた。

韓国のマンファ、大衆歌謡、小説などでは今も日本文化の影響を簡単に探すことができる。最近、韓国では日本式居酒屋が好況で、日本では韓国の美男美女メーキャップが流行だ。一つの国の文化が他に伝播したからと言って優越感や劣等感を持つ理由はない。イタリアのピザが米国式ピザより優れているわけでもなく、日本式カレーがインドカレーより劣るわけではない。むしろ心を開いて相手の文化を受け入れる時、自身の文化もさらに豊かになる。

日本漫画の影響を受けた韓国ウェブトゥーンの躍進を思い出せば簡単に知ることが出来る。反面、教祖的に自国文化の優秀性を主張して排他的態度を見せることこそ衰退への近道だ。日本茶道を勉強することが韓国茶文化の発展に繋がる可能性があるという事だ(帰国したら韓国茶道も習うつもりだ)。

千利休は壬辰倭乱を起こした豊臣秀吉の黄金茶室を軽べつし、朝鮮茶碗に象徴される素朴で不完全な美しさを称賛したという。夢ででも会えたら利休に訊ねたい。あなたの美意識はどこからきたのかと、ひょっとして茶道が韓日和解協力の端緒にならないかと話だ。

チャン・ウォンジェ東京特派員
no title


ソース:東亜日報(韓国語)[光化門から/チャン・ウォンジェ] 利休にたずねよ
http://news.donga.com/East/MainNews/3/all/20171121/87375211/1


2: 2017/11/21(火) 21:12:13.17 ID:H+SQbPSc

魔法瓶の茶道を卒業してから言えよ。(・ω・)


4: 2017/11/21(火) 21:14:41.84 ID:ON5x81xI

利休に起源を尋ねたにだ


15: 2017/11/21(火) 21:18:46.65 ID:GKxzBC5F

>茶文化は中国から始まって韓国を経て日本に入ったというのが定説だ。
韓国の定説は世界から見ればファンタジー

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posted by 中島 at 22:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年11月05日

【韓国】これらはみんな韓国が発明したものだったのか!―韓国メディア

にだ

1: 2017/11/04(土) 11:41:11.42 ID:CAP_USER

Record china 配信日時:2017年11月4日(土) 7時20分
http://www.recordchina.co.jp/b188863-s0-c30.html

2017年11月2日、海外網は記事「韓国が発明したものってなに?あかすり手袋だ!」を掲載した。

どんなものであれ、「うちの国が起源」とすることで知られる韓国だが、本当に韓国人が発明したものはなんだろうか?韓国紙・中央日報が韓国4大発明を紹介している。

第一に1976年に開発されたスティックコーヒー。インスタントコーヒーに砂糖などを配合したもので、韓国におけるコーヒーの普及に大きな役割を果たした。

1998年に開発されたのがロック&ロック社の密閉保存容器。

2008年にクッションファンデーション。いずれも世界で大流行している。

そして韓国ならではの発明とも言えるのが1976年のあかすりタオル。当初はイタリアから輸入した布を使っていたためイタリアタオルと言われていたという


5: 2017/11/04(土) 11:43:25.92 ID:4e7mkQA7

だけ?


6: 2017/11/04(土) 11:44:32.55 ID:5KM2YMfF

みじめな民族だな


8: 2017/11/04(土) 11:45:27.49 ID:6waQJ+SI

漢字、金属活版印刷、も朝鮮人の発明
と、韓国人は信じています

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posted by 中島 at 12:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年10月07日

【韓国メディア】 中国最高のコメ、「武昌米」の起源は朝鮮

1: 2017/10/06(金) 21:54:33.12 ID:CAP_USER

■ 中 最高コメ「武昌米」起源は朝鮮 2017-10-04
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<アンカーコメント>

昨日(3日)、中国第一のコメ、武昌米を紹介させていただきましたが、

中国人たちが天下一味と言うこの武昌米を作った人たちは、まさに朝鮮族ということです。

中国米の歴史は波乱万丈だった桎梏の朝鮮族の歴史そのものだと言っても過言ではありません。

カン・ミンス特派員が報道します。

<レポート>

中国の黒龍江省平野、その中でも自然環境が良い武昌、そしてその武昌でも最高に選ばれる、それが民楽県(※おそらく民楽郷のこと)の米です。

民楽郷は朝鮮族の村です。

村の各所にあるこうした壁画は、ここが私たちと変わらない韓民族がいることを示しています。

旧韓末から、食べ物を求め移住してきた朝鮮族がここに定着して水田を作り始めました。

<インタビュー>クム・チョン(民楽郷住民):「長靴もなく素足のまま冷たい水に入って開墾したそうですよ。 父より上の人がみんなで、漢族たちはできないから…」

黒竜江省政府が発行した本には、朝鮮族が1895年に初めて武昌に入ってきたとされています。

定着過程で中国人から悲しみを受け、

<録音>故ソ・ミョンフン(元ハルビン市民族宗教事務局副局長/黒竜江新聞社提供):「民国政府より、朝鮮人に土地を開拓できないようにされました。」

日帝強占期には、日本人から悲しみを受けました。

<録音>イ・チュンシル(ハルビン朝鮮族芸術館副館長):「(1920〜30年代には)強制移民と日本人に引かれてきた人も多くて、地主の土地を耕したり、荒れ地の実際の石を手で取り除き…」

しかし、朝鮮人たちは最後まで生き残りました。

荒れ地を沃土へと開墾、現在最も脚光を浴びている桃花香米の品種開発も朝鮮人がやり遂げました。

中国人が発行した「黒竜江稲作発展史」という本には、稲作功勲者43人が出ているが、このうち朝鮮族がおよそ39人も含まれています。

黒竜江省五常市民楽郷からKBSニュース、カン・ミンスでした。

ソース KBSニュース(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=056&aid=0010509732


3: 2017/10/06(金) 21:56:07.65 ID:hQ0Hy9n9

韓国人に生まれなくて良かった


5: 2017/10/06(金) 21:56:33.31 ID:RT9kBY/I

まぁ宇宙の起源も韓国のことだし


6: 2017/10/06(金) 21:56:47.52 ID:kw7Bwpi+

>>1
いや、気候を考えろよ、起源言う前に。

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posted by 中島 at 17:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年09月24日

【韓国】 新羅高僧が唐で「禅茶」を創始…これが「草庵茶」として発展し、日本に伝わり「わび茶」になった 〜韓茶文明の東伝

1: 2017/09/23(土) 22:44:22.41 ID:CAP_USER

■「我が国の草庵茶、日本茶道に大きな影響」チェ・チョンガン 茶文化研究家
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「日本茶を飲む礼法の中で、『草庵茶茶道』の根は我が国から始まりました。」

陶芸家であり、茶文化研究家でもあるチェ・チョンガン氏は、
「新羅の高僧である無相禅師が唐国で『禪茶』を創始し、朝鮮時代の学者である梅月堂(※金時習の号)がこれを『韓茶』すなわち草庵茶として発展させて、日本ワビ茶になった」と主張する。

梅月堂は、我が国の最初の漢文小説である「金鰲神話」の作家としてもよく知られている。

チェさんは30年間、100回以上中国と日本の現地図書館と博物館などを往来しながら茶を研究した。

以来、これを集大成にした著書「韓茶文明の東傳」は学界の注目を浴びた。

チェ氏は、本を通じて
「16世紀日本茶精神のうち、ワビ茶に影響を与えた人は梅月堂で、茶を飲む時に使う器である「ワン」も朝鮮時代の南部地方から伝わったものだから、我が国が日本に影響を与えたということ」と強調した。

我が国の茶の精神と茶器の一部が日本に渡り、日本式に再創造されたというのだ。

次はチェ・チョンガン研究家との一問一答。

Q.著書を通じて、韓日の間で「茶道文化」が移り行く過程が私たちが知っていた事と異なるという主張をした。
ここでの日本茶道とは、草庵茶茶道すなわち禪茶を意味する。

7世紀中頃、唐代で新羅王子だった無相禪師から発達した禪茶は、仏教において茶を飲みながら遂行する文化だ。

以後、高麗時代に寺刹を中心とした禪茶意識が発達し始めた。三国遺事の著者である一然禅師も禪茶を発展させ、新羅と伽耶の茶に関する記録を整理した。

その後、朝鮮時代の梅月堂先生にも禪茶精神が伝授された。禪茶は「草庵茶」へと生まれ変わった。

草庵茶は農民が住む草家を母体にした。清貧を基礎として15世紀日本に伝播されて新しい文化を作った。これを30年間研究した結集がまさに著書「韓茶文明の東傳」だ。

Q.それならば、我が国と日本の茶道の違いは何か?
日本ワビ茶は韓国の「草家」に根を置いている。しかし、初期のワビは高台広室のような大きな家から始まった。

これに対し、我が国の草庵は草家のように小さい素朴な自然主義を追求するソンビを通じて発展した。

金時習は、禅家と道家、仏家思想を土台に、儒教茶の伝統にこのような哲学的な深みと法式を加えた。

Q.梅月堂によって「草庵茶」が日本に伝播したという事実はどうやって明らかにしたのか?
研究の始まりは35年前だ。金時習が草庵で日本の外交使節の僧侶に徹夜で草庵茶の精神世界を論じる送別詩を詠んだことを梅月堂文集の中から発見した。

1988年、江原大学で開かれた梅月堂関係の国際学術セミナーで、「日本室町時代草庵茶に与えた梅月堂の影響」を主題に論文を発表し注目された。その後に本格的な研究が開始された。(省略...)

ソース YTN(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=052&aid=0001058685


2: 2017/09/23(土) 22:45:15.34 ID:zBkBhW29

ま〜た始まった


3: 2017/09/23(土) 22:45:59.14 ID:xGKSGpYq

少女強姦した牧師に似てるなww
 
 


4: 2017/09/23(土) 22:46:44.02 ID:JPAaYpef

半島で茶なんて飲んでるやついたのか?

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posted by 中島 at 15:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年08月05日

【朝鮮日報】韓国・中国・日本、「味噌」の元祖はどこ?

にだ

1: 2017/08/04(金) 20:20:41.74 ID:CAP_USER

各民族ごとに好みの味があり、その味を出す調味料がある。我が国は昔からカンジャン・テンジャン・コチュジャンなど醤を利用して塩加減や味を整えて、現在までも続けている。その中でもテンジャンは抗癌・抗酸化作用があると明らかにされて、最近に来てさらに注目されている。テンジャンはいつから作って食べられて、いつからテンジャンと呼ばれるようになったのだろうか?テンジャンの語源と歴史を調べてみた。

起源
 ̄ ̄ ̄
テンジャンを初めて作った国はどこだろうか?この質問に答えるためには、テンジャンをを作るメジュコン(味噌玉麹用の大豆)の原産地を先に突き止めなければならない。メジュコンの原産地を満洲と見る学界の理論上では、醤文化が満洲で生まれた可能性が高い。

大部分の発酵食品のように豆の栽培地で自然に醤が生まれたとすれば、既に紀元前1500年前である青銅器時代から醤の原型があったと推測することができる。実際に豆満江近くの地域である北朝鮮の会寧五洞古朝鮮遺跡では紀元前1300年頃の青銅器の遺物と一緒に豆、小豆、キビが出土した。

醤に対する記録は紀元前3世紀に書かれた中国の<周礼>という文献に、肉で作られた肉醤に対して記録されたのが初めてだ。しかし、豆で作られた豆醤は我々の祖先が最初に作ったとする見解が多数だ。なぜだろうか?答えは文献の中にある。

「誰が豆を醤に発酵させ始めたのだろうか?」という質問に対する答えは無いが、高句麗が満洲を治めていた時代に製造技術が次第に発達して、他の国に伝えたことは昔の記録から見付けることができる。

中国の三国志《魏志東夷伝》には「高句麗は※贓釀が上手い」という記録がある。高句麗の遺民らが渤海を建国した直後である7世紀末には既にメジュが渤海の名産品として広く知られていた。(※贓釀は醤を仕込む、酒を醸すなどの発酵性加工食品の製造をいう)

高句麗人たちはメジュからテンジャンを作る方法を隣国である中国と日本にも伝えた。8・9世紀頃に醤が我が国から日本に伝わったという記録が数多く残っている。代表的な記録は《東雅・1717年》で、「高麗の醤である豆醤が日本に来て、その国の方言でミソと言う」と記録されている。

中国の《博物誌》《學齋佔畢》などの文献を見ても、メジュを紹介しながら「外国から伝わってきた」という表現を使っている。文献と多くの状況を見れば、テンジャンは我が国から中国と日本に伝わったものであることが分かる。


《以下みその語源・歴史・種類・効能は略》


韓・中・日の中でテンジャンの元祖は?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
韓中日のテンジャンはどのように違うのか?まず、日本のテンジャンは『ミソ(味噌)』と呼ばれて、豆だけを利用する我々の従来の味噌とは異なり、米・麦・小麦などを加えて甘辛い味にする。日本のテンジャンは黄麹菌を植え付けて作った麹を利用するが、島国であるために気候が蒸し暑くて、微生物が自然に醗酵するようにしておくと腐敗しやすいからだ。

韓国のテンジャンが日本に伝わったのはおよそ8世紀初めだ。日本の《大宝律令・701年》にも醤・시・豆醤という記録が出てきて、《正税帳・739年》にも豆醤という言葉が出てくるが、これを高句麗の発音で『ミソ』と読んだという。日本のミソは高句麗のテンジャンが伝わったものだけでなく、『ミソ』という言葉自体も伝わった。

つまり、日本のミソは高句麗のテンジャンであるミソが伝わったもので、テンジャンという食べ物を作る方法だけでなく、『ミソ』という言葉自体も高句麗の言葉をそのまま使用したのだ。

2017/08/04 08:41
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/07/24/2017072401018.html


3: 2017/08/04(金) 20:22:32.91 ID:c8S+sRR3

うんこと味噌の区別が付かない国が一つ混じってるんだけどwwww


4: 2017/08/04(金) 20:22:48.75 ID:UdwyoNoS

韓国でないことだけはすぐに分かる


5: 2017/08/04(金) 20:22:51.36 ID:lh+lpEeI

中国ちゃうの?

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posted by 中島 at 09:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 起源主張

2017年07月19日

韓国が「スキー宗主国」であったという事実をご存知ですか

1: 2017/07/17(月) 20:57:51.81 ID:CAP_USER

■[韓国日報] 韓国が「スキー宗主国」であったという事実をご存知ですか
http://sports.news.naver.com/general/news/read.nhn?oid=469&aid=0000218141

「雪の上で履く靴」を意味するスキーはノルウェーが宗主国として知られている。

ノルウェー語と英語のskid,skip,skiff,slide及びskateなどが語源で、数千年前から冬が長く雪が多い山岳地帯で歩行、狩猟、運搬の目的で使われており、北欧では戦争当時、重要な移動手段として利用されることもあった。

いわゆる「ノルウェースキー」は農民と猟師によって伝わった。1740年頃ノルウェー軍隊がスキー部隊を編成した後に活性化してスキー競技へと発展した。

1877年、ノルウェー・クリスチャニア(現在のオスロ)にスキークラブができて、2年後のハースビヒルで第1回ジャンプ大会が開かれた。

19世紀後半にはヨーロッパ各国に普及し、特にオーストリアでマティアス・ツダルスキーがアルプス山岳地帯に合うスキー技術を研究すると同時に、それに合う用具を開発することによって急激な発展を遂げた。

このようにヨーロッパからスキーが始まったとよく知られているが、1955年出版されたC.J. ルーターの「古代スキー歴史50年」に収められた図を見れば、スキーはむしろ韓国北東部と中央シベリアから全世界に伝わった経路が具体的に描かれている。

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地図の一番上左端に描写された図は、アイスランドの神話に出てくるスキーの神であるウルの姿で、17世紀にラプランドゥンが描いたと言われる。

スキーを履いて弓を撃つ場面で、スキーの左右の形と長さが違うように描かれているが、これは韓国のソルメの形と同様だ。韓国北東部の山間地方に古くから固有のソルメ(スキー)があるという説は多くの国で知られていた。

一方、日本の場合は1911年1月12日、オーストリア陸軍少佐のフォン・レルヒーからスキーを伝授されたと記録されている。

日本は、しかしながら韓国にも固有のソルメがあるということを知って探しに出た。

1912年咸鏡南道ミンチョン所在の農家で発見されたスキー。炭素年代測定で4世紀に製作されたことが明らかになった。
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日本軍ユカワ中尉が咸鏡南道の山あいにある農家の倉庫からスキーを発見した後、記念撮影をしている。
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実際に翌年、当時植民地の韓国に駐留した日本軍のユカワ中尉が、咸鏡南道(※北朝鮮)ミンチョン所在の山あいの農家の倉庫でスキーを発見し、炭素年代を測定してみると、4世紀の時に木で製作されたスキーだと明らかになった。

特に、スキーの本体に4個の穴を開け、両側のスキーの長さが若干違うように製作された点が、現代ヨーロッパで開発されたスキーとそっくり似ていたということだ。

これに対してチェ・イルホン江原道開発公社アルペンシア事業団課長は「現存最古の北欧スキーより、我が国のスキーが何と1300年ほど先んじていたという明白な証拠」と話した。

現在このスキーは日本の新潟県のタカダ(現在、上越市)博物館に展示されている。

チェ課長は続けて、国際オリンピック委員会(IOC)関係者もこのような説明を聞いたら、非常に雰囲気が粛然とするとつぶやいた。

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posted by 中島 at 18:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 起源主張