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2016年07月31日

【韓国】中国の顔色うかがう「属国」にはなりたくない

1: 2016/07/31(日) 06:24:57.46 ID:CAP_USER

 1979年12月12日。韓国では全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領による「12・12事態」(粛軍クーデター)で知られる日付だが、この日は世界史的にも記念日だ。米ソ冷戦終結のきっかけとなった日だからだ。

 この日、ベルギーのブリュッセルで米国、英国、フランス、西ドイツの外相、国防相らが会合を開いた。出席者は10カ月にわたり協議が難航した対ソ連戦略に関する合意文に署名した。
署名を行う間、彼らは核戦争の幽霊が目の前を往来するような気分を味わったはずだ。

 79年に入り、ソ連は中距離核ミサイル「SS20」をポーランド、チェコに配備し始めた。西欧全域が射程圏に入った。戦術核のバランスがソ連側に傾いたことを物語っていた。
致命的な安全保障上の危機に直面した西側陣営が第2次大戦当時の悪夢を思い出し、対応に苦慮したのは当然だった。

 西側はソ連の核ミサイルに対抗し、「パーシング2」など米国の核ミサイルを西ドイツに配備するなど強硬な戦略で合意した。
それに並行し、ソ連側と核ミサイルを同時に撤収しようという交渉も進めた。これが現代史の分水嶺となった「デュアルトラック政策」だ。万一交渉が決裂すれば、核ミサイルの配備数は増えたり、核戦争が起きたりするリスクがあった。

 米国の核ミサイルを自国領土に配備しなければならない西ドイツの悩みは深かった。左派社会民主党を率いるシュミット首相はソ連から圧力を受けていた。シュミット首相は「実力の対決ではないデタント(和解)を通じた平和の実現」を信奉していた。
ソ連のブレジネフ書記長と個人的に親しく、東ドイツとの対話もうまくいっていた。

 シュミット首相は米ソの力の対立で「バランス役」を担うことを願った。2回もモスクワを訪問し、ブレジネフと会った。その間、米国による核ミサイルの西ドイツ配備は全く進まなかった。
西側陣営からは「合意があるのに従わない西ドイツを信用できない」とする声も上がった。米情報当局はシュミット首相が裏切ったと判断した。西側陣営から不信を買ったシュミット首相は社民党内の支持も失った。
シュミット首相は議会でデュアルトラック政策から手を引くことを示唆するような発言まで行った。

 シュミット首相があいまいな態度を示した背景には西ドイツ国内のムードもあった。「非核平和運動」の旗の下に数十万人のデモ隊が集まった。
彼あらはソ連の核ミサイルの脅威に対抗する西側陣営のデュアルトラック戦略を「戦争挑発者の政策」と断じ、連日非難した。米国とそのパートナーの国々を戦争の挑発者と見なした。しかし、デモ隊は全ての事態を招いたソ連の核ミサイル配備には言及しなかった。

 シュミット政権はデュアルトラック政策をめぐる社会的混乱と同時に高い失業率、経済低迷などでコーナーに追い込まれ、最終的には議会の不信任決議で退陣した。それまで政局運営では高評価を受けていたシュミット氏がなぜ落馬したのか。
それは国際情勢の変化に乗り遅れたからだ。当時はデタントのムードが薄れ、米ソの対決が高まっていたが、シュミット氏は米ソ双方とのバランス外交への未練を捨てられなかった。
両大国の間で自分が主導的な役割を果たせると信じていた。自分の限界を知らなかったと言える。後にシュミット氏は「米ソの通訳という仕事に忠実だった」と評された。急流が押し寄せた決定的瞬間にどちらの陣営に立つべきかを表明できなかったからだ。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/29/2016072901355.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/29/2016072901355_2.html
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/29/2016072901355_3.html

>>2以降に続く)


2: 2016/07/31(日) 06:25:19.66 ID:CAP_USER

>>1の続き)

 西ドイツでは次にコール首相による右派連立政権が発足した。コール首相は就任1年後に米国の核ミサイル配備を受け入れた。
コール首相は「核ミサイル配備をはじめなければ、米国との関係が打撃を受けたであろうし、西側陣営の連帯は瓦解していたかもしれない」と振り返った。西ドイツの核ミサイル配備はソ連に圧力となり、1987年に中距離核戦力全廃条約の締結にこぎ着けた。
それは冷戦終結に向けた信号弾であり、ドイツ統一と共産帝国ソ連の崩壊へとつながった。

 コール首相は当時こう総括した。「徐々に多くの人が歴史の長い呼吸を失いつつある。長い歴史的な視点ではなく、現実にばかり縛られる世界観に満足した。
そのため、自由や人権といった民主主義的な共通の価値観という問題で混乱を来し、米ソを同一視する見方が生じた。それは経済的、外交的な危機だけでなく、精神的、道徳的な危機でもあった」

 南シナ海で米中の覇権争いにより新たな冷戦の構図が形成されている。終末高高度防衛ミサイル(THAAD)配備をめぐる対立はその一部分かもしれない。
普段は外交的、経済的な損得を判断すべきだが、決定的な瞬間にどちらの価値観、陣営に属するかは国の運命を決定づける。最近の中国は「強い者には従え」的な態度を示しているが、果たして大国の器かどうか疑問だ。
韓米同盟がなければ、韓国がこれまで中国に対し持ちこたえられただろうか。韓国は「属国」のように扱われ、中国の顔色をうかがいながら過ごすことを望まない。

no title

崔普植(チェ・ボシク)上級記者

(おわり)

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posted by 中島 at 16:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 韓国

【朝鮮通信使】江戸の韓流 朝鮮通信使 鎖国下の日本が熱狂 原色の行列 文化誇示 ミニ使節 交流の礎に ← こんな嘘よく思いつくもんだ

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1: 2016/07/30(土) 20:07:24.90 ID:CAP_USER

江戸時代の日本に「韓流ブーム」があったことを知っていますか? 朝鮮王朝の優れた書や絵画、珍しい踊りや曲芸に、鎖国下の日本の人々は熱狂しました。そのブームを引き起こしたのが、平和使節の「朝鮮通信使」です。今年3月、通信使の日記や絵画などの貴重な歴史資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に申請されました。通信使とは何だったのか−。九州に残る足跡をたどりながら、その姿を紹介しましょう。 

【衝撃】

朝鮮通信使は、鎖国政策を取っていた徳川幕府が、ほぼ唯一の例外として朝鮮王朝から招いていた外交使節です。この場合の「通信」とは「信(よしみ)(親しい交わり)を通い合わせる」という意味。徳川幕府成立直後の1607年から1811年にかけて、10〜20年に1回程度、将軍が交代する時などに訪れました。

一行は約500人の大行列。当時の朝鮮の首都漢城(ハンソン)(現ソウル)から江戸まで、海路と陸路で往来しました。朝鮮にとって自国文化をデモンストレーションする好機です。原色の衣装を着て、竜を描いた大きな旗を掲げ、楽隊の派手な演奏に合わせて各地を練り歩きました。

海外の風物を目にすることがなかった江戸時代の庶民にとって、それがどれほどの「衝撃」だったか。大坂(現在の大阪)で見物した様子を記した「宝暦物語」(著者不明)によると、通信使の船が通る川岸には「近郷在住の老若男女その数幾千万」。ぎっしり埋まった見物客は「千体仏のごとく」とあります。

中国の先進文化をいち早く吸収していた朝鮮は、漢詩や絵画、武士も重んじた朱子学や医学などの分野で日本に先行していました。庶民の見物とは別に、文化人や裕福な商人たちも通信使に殺到し、書をほしがったり、教えを求めたりしたそうです。

「一生に2回見られれば幸運というほど、大変な人気だった」。通信使の最初の寄港地だった長崎県対馬市で国際交流を担当する阿比留正臣さん(48)は、人々の熱狂ぶりをそう語ります。対馬では今年も、8月の夏祭りの目玉として通信使行列が再現されます。

【平和】

通信使の記録は「平和遺産」だと言われます。通信使が往来した約200年間、幕府と朝鮮の間に武力衝突はなく、少なくとも建前としては対等な関係を維持したからです。

もちろん通信使だってきれい事ばかりではありません。「お互い裏にはドロドロした政治的思惑がありました。それでも、結果として平和を守った意義は大きい」。長崎県学芸文化課の主任学芸員、山口華代さん(38)はそう評価します。

朝鮮にとって当時の日本は武士という軍人が支配する野蛮な小国。先進文化を伝え、教化してやるという優越意識がありました。一方、幕府は使節を迎えることで日本の支配者として権威を示したかった。通信使は「呼びつける」ものだから、幕府から使節を送ることもありませんでした。

間で板挟みになったのが仲介役の対馬藩(現対馬市)でした。徳川家には「通信使を呼べ」と命じられ、朝鮮王朝には「まず家康から正式な招待状(国書)を送らせろ」と要求されます。悩んだ末に、なんと国書を偽造しました。

また、対馬藩は現在の大使館に当たる倭館(わかん)を釜山に置き、朝鮮から「訳官使(やくかんし)」と呼ばれる使節を頻繁に招きました。100人程度の、いわば「ミニ通信使」です。訪問回数は12回の通信使よりずっと多く、51回に上りました。

対馬藩は幕府の動向や通信使の準備について訳官使ときめ細かく協議。もてなしのため宿舎を建て、通り道に石垣まで築きました。今も残る美しい石垣を案内してくれた朝鮮通信使対馬顕彰事業会会長の小島武博さん(67)は語ります。「訳官使こそ交流の基礎。使節と仲良くした対馬の配慮で平和が保たれたのです」

=2016/07/26付 西日本新聞朝刊=
WEB 2016年07月29日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/262345


4: 2016/07/30(土) 20:08:51.07 ID:4V0Hw2rN

そうやってすぐ嘘をつく


5: 2016/07/30(土) 20:09:03.05 ID:9Uk2jpDV

熱狂した記録なんて皆無なんだけどね


7: 2016/07/30(土) 20:09:36.50 ID:qxYhI64F

ただの見世物ですから。

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posted by 中島 at 15:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 捏造歴史

【韓国】THAAD配備先の住民 ローマ法王などに撤回要求へ ← ローマ法王になんの関係が そりゃいっぺん死んで来いって言われるわ

1: 2016/07/30(土) 23:38:01.06 ID:CAP_USER

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アメリカの高高度迎撃ミサイルシステム「サード(THAAD)」の配備先に決まった韓国南部の慶尚北道(キョンサンブクド)・星州郡(ソンジュグン)の住民らによるTHAAD配備阻止闘争委員会は、
ローマ法王やアメリカ大統領選挙の与野党指名候補に、THAAD配備の撤回を求める書簡を送る方針です。

闘争委員会が29日、明らかにしたところによりますと、星州郡のカトリック教徒らが、撤回を要求する手紙を韓国語で書きあげており、英語での翻訳が完了し次第、早ければ来週にもローマ法王やアメリカ大統領選挙の与野党指名候補に送る計画だということです。

星州郡は、全国のうり生産量の60%を占める、うり産地で、30日に農民ら200人がうり畑をビニールハウスごと壊すパフォーマンスを行ったほか、29日には、星州郡の医師協会会員らが郡庁前でTHAAD配備の撤回を求めて集団で削髪を行うなど、
反発を強めています。

http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_Dm_detail.htm?No=60158


3: 2016/07/30(土) 23:38:59.24 ID:ZEzZK6aZ

 
ローマ法王関係無いやん


4: 2016/07/30(土) 23:40:10.14 ID:9EFOFQt5

いつもの他国に叱ってくれって要求する奴


5: 2016/07/30(土) 23:40:22.60 ID:kMYBATIn

思考は天皇陛下の権威を利用しようとする山本太郎と同じってことだろ。
それの朝鮮バージョン。

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posted by 中島 at 14:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | THAAD

日清戦争の陰に忘れ去られた「日本軍と朝鮮人ゲリラの戦い」の実相

1: 2016/07/30(土) 20:38:36.60 ID:CAP_USER

開国から日本が「帝国主義」へいたる道すじ

1871(明治4)年の「岩倉使節団出発」から、1905(明治38)年の「日露戦争終結」までの35年は、いわば「井の中の蛙」であった日本が近代国家としての第一歩を踏み出し、欧米諸国の実情を目の当たりにして驚きつつ、大国となるために何が必要なのかを必死に学んだ時期でもありました。

世界で通用する国際法というルールを勉強し、自分たちの行動規範を少しずつそれに合わせていくことで、日本という国を発展させるのと共に、日本が外国の植民地にならないようにする「強さ」を身につけていきました。

その過程では、当時の欧米諸国がアジアやアフリカなどの「植民地」に対して行っていた「帝国主義」の流儀を、日本も真似ることになりました。現在もなお政治的な後遺症が残る、韓国(朝鮮)や中国(清国)に対する「大日本帝国」の支配権拡大は、実質的にこの時代から始まったと言えます。

日清戦争は、日本から見た「主観的歴史」では「朝鮮の独立国としての地位を確立して、日本周辺の安全を確保するための、正当な軍事力の行使」でしたが、清国と朝鮮は当然のことながら、それぞれ日本とは異なる認識を持っていました。

清国は、1882(明治15)年に朝鮮との間で「中朝商民水陸貿易章程」という条約を締結し、前文で「朝鮮は清国の属国」と明記しており、朝鮮を「完全に清国の影響下から脱した独立国」と見なす日本側の考え方を認めるつもりは全くありませんでした。

もし、それを認めてしまったなら、今まで朝鮮と同様に清国を「世界の中心」と理解してきた東アジア諸国に対する清国の面子と威信は丸つぶれとなり、清国の支配から脱しようという動きが、あちこちで発生しかねないと思われたからです。

歴史から忘却された「日本軍と朝鮮人ゲリラの戦い」

しかし、日本軍と正面から組み合った戦争で清国軍が完敗を喫したことは、清国にとって想定外の打撃となりました。この敗北により、清国を「東アジアの支配者」と位置づける「華夷秩序」は根底から揺るがされ、イギリスとのアヘン戦争での敗北(1842年)以来低下していた清国の欧米列強への発言力はさらに失墜し、英独など各国は清国の政治的弱体化に乗じる形で、新たな利権を求めて中国大陸へと進出することになります。

一方、戦場となった朝鮮半島では、日本軍と清国軍による戦争が勃発したのに伴い、先の「甲午農民戦争」で立ち上がった武装農民たちが、日本軍部隊を「侵略者」と見なして銃口を向け、ゲリラ戦を展開するという、新たな事態が発生していました。

日本で出版された「日清戦争」の文献では、ほとんど触れずに済まされていますが、日本軍が朝鮮の王宮を武力で占領した上、朝鮮政府を脅して独立宣言を発表させたことに反発した大勢の朝鮮人が、開戦翌月から日本軍に対する抵抗の戦いを開始したのです。

これに対し、現地の日本軍は前線で清国軍と戦いつつ、後方では朝鮮人のゲリラとも戦うことを強いられました。しかし、欧米列強が注視する清国軍との戦いでは、国際法をきちんと遵守して戦う姿勢を見せた日本軍でしたが、貧弱な兵器しか持たない朝鮮人の農民ゲリラに対しては、情け容赦なく徹底的な掃討作戦を実施し、降伏した朝鮮人も「捕虜」とは見なさずに、見せしめの効果を狙って住民の目の前で殺したりしました。

こうした日本軍の朝鮮人抗日ゲリラに対する行動は、後のベトナム戦争におけるアメリカ軍の行動とよく似ていました。農民ゲリラは、彼らに好意的な農村の住民にまぎれて行動するため、ゲリラの掃討を行う軍隊は、住民がゲリラを助けたり匿ったりしないよう、武器で脅して恐怖心を植え付けるなどの強圧的な方策をひんぱんに使用しました。

日清戦争当時の日本軍が、抗日ゲリラの掃討で用いた非人道的な手法は、当時戦いに参加した日本軍人の日記や手紙にも生々しく記されています。しかし、抗日ゲリラ掃討作戦の実情は、日本の陸軍参謀本部が編纂した戦史書では実質的に無視され、作戦で死亡した兵士についても「清国軍との戦いで戦死」という形式に記録が書き替えられました。

ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/96661


2: 2016/07/30(土) 20:39:35.70 ID:T90yjXQU

抗日ゲリラw。盗賊じゃんwww


3: 2016/07/30(土) 20:39:43.49 ID:BeCCbqel

>>1
また作り話


4: 2016/07/30(土) 20:39:46.64 ID:0ebQ7iKI

>>1
ゲリラじゃなくて夜盗だと思うのですが

日本軍の補給物資を馬ごと持ち去ったとか枚挙にいとまがないような気も

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posted by 中島 at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 捏造歴史

李明博前大統領の竹島訪問から中断していた海上保安庁の日韓交流 4年ぶりに再開した韓国側の事情とは

1: 2016/07/30(土) 01:38:34.18 ID:CAP_USER

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記者会見する中島敏・海上保安庁長官=27日、東京・霞が関の海上保安庁(池田証志撮影)

 日韓海上保安当局の長官級協議が4年ぶりに開催され、海上保安庁の中島敏長官が27日、救難救助の連携や人的交流について話し合ったことを記者会見で明らかにした。
平成11年から毎年1回、相互に訪問してきたが、李明博(イ・ミョンバク)前大統領の竹島訪問後に韓国側が延期して以降、両国の冷え切った関係を象徴するかのように途絶えていた。
公安関係者の間では、北朝鮮の核開発や中国の海洋覇権主義の顕在化に危機感を強めた韓国側が「雪溶けを求めたのではないか」と指摘する声も上がっている。

「韓国の事情」で延期

 日韓両国の海上保安機関が連携・協力の強化を図る長官級協議。前回の第14回協議が日本で開催されたのは、平成24年6月のこと。第15回は韓国で開催される予定だったが、25年5月に韓国側から連絡があり、「事情により」延期された。
前年の8月には、李前大統領が韓国大統領として初めて竹島を電撃訪問し、日韓関係は急激に悪化していたためとみられている。

 後任の朴槿恵(パク・クネ)大統領も日本に対し冷淡な態度を取り続け、4年もの間、同協議が開かれることはなかった。

 日本の海上保安庁は「国会の事情などがあり、スケジュール調整ができなかった」と説明するが、公安関係者は「韓国は極めて政治的な国家。大統領の顔色を見て国際協議を遅らせたり、回数を減らしたりすることくらいは平気でする」と指摘する。

裁定、竹島は触れず? 終始友好的なムード

 「両機関間の信頼関係をより一層深めることができた」。中島長官は27日の定例記者会見で、4年ぶりの協議の意義を語った。
21日に韓国・仁川で開かれた協議には、韓国側からは海洋警備安全本部の洪益泰(ホン・イクテ)本部長が出席。2人は本部ビルの国際会議室の長机に向かい合って座り、テーブルの上には両国の国旗が並べて置かれていた。
関係者によると、協議は「終始友好的なムード」で行われたという。

 27日の記者会見では“空白の4年間”について質問が出たが、中島長官は「両機関で開催に向け調整を行ってきたが、事情がお互いにあって…」と歯切れが悪かった。

 12日に出されたばかりの仲裁裁判所の裁定については、同協議で話題になったかどうかは明らかにしなかった。もし裁定の話が出ていれば、「竹島」に触れざるを得ず、せっかくの友好ムードが台無しになったはずだ。

朴大統領の態度軟化が背景か

 韓国の隣国は、これまで以上に不穏な状況だ。北朝鮮は、核開発と中長距離戦略弾道ロケットの開発を活発化。中国は、南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島で人工島建設を進めるなど海洋覇権主義が勢いを増している。
このため、「朴大統領が日本に対する態度を軟化させていることが4年ぶりの協議再開の背景にあるのではないか」と公安関係者は話す。

 一方、尖閣諸島周辺海域では、中国公船による領海侵犯などが毎日のように起きている。海上保安庁にとって、韓国海洋警備安全本部との連携や情報共有が欠かせないのも事実だ。

セウォル号転覆の影響も

 実は政治的理由以外にも、韓国側に協議を再開できない事情があった。

 2014年4月に旅客船「セウォル号」の転覆事故があり、当時の韓国海洋警察庁は対応の悪さから解体を迫られ、海洋警備安全本部として再出発したばかりだ。

 韓国海洋警察庁は警備安全、情報操作、装備技術、海洋汚染防除の4局で構成されていたが、同本部は情報捜査局を除く3局に縮小。陸上での捜査権を警察庁に移管した。
現在は約300隻の船艇と約20機の航空機、約1万1000人の人員で韓国周辺海域の治安維持などにあたっている。

 「セウォル号のような事故の場合、われわれができることがあれば韓国側にオファーするし、われわれの方からお願いすることもあるだろう」(中島長官)。日韓両国にとって重要な海上保安当局間長官級協議。来年は日本で開催される予定だ。

http://www.sankei.com/premium/news/160730/prm1607300027-n1.html


2: 2016/07/30(土) 01:39:27.53 ID:Njk3ZFH8

擦り寄ってくんな


6: 2016/07/30(土) 01:43:41.04 ID:xE6MzRv0

>>1
日本も何普通に受け入れてんだよ
チョンなんか10年くらい無視すればいい物を
バカじゃねぇの?


7: 2016/07/30(土) 01:45:11.09 ID:BZ824k7m

竹島返せの一言ぐらい言ったらどうだ?

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posted by 中島 at 12:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 韓国

【国内】日弁連が朝鮮学校に対する補助金停止に反対する声明を発表

1: 2016/07/30(土) 12:36:51.29 ID:CAP_USER

朝鮮学校に対する補助金停止に反対する会長声明

文部科学大臣は、本年3月29日、朝鮮学校をその区域内に有する28都道府県知事宛てに、「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について(通知)」を発出した。

同通知は、朝鮮学校について、「北朝鮮と密接な関係を有する団体である朝鮮総聯が、その教育を重要視し、教育内容、人事及び財政に影響を及ぼしている」という政府の認識を示したうえで、対象自治体の各知事に対し、大要、「朝鮮学校の運営に係る上記のような特性も考慮の上、補助金の公益性、教育振興上の効果等に関する十分な御検討と補助金の趣旨・目的に沿った適正かつ透明性のある執行の確保」を要請している。

しかし、補助金の支給権限は地方自治体にあり、その判断と責任において実施されるべきところ、同通知は、具体的な事実関係を指摘することなく、上記のような政府の一方的な認識のみを理由として、数多くある各種外国人学校のなかの朝鮮学校のみを対象として補助金交付を停止するよう促しており、事実上、地方自治体に対して朝鮮学校への補助金交付を自粛するよう要請したものと言わざるを得ない。このことは、同通知を受けて、実際に補助金の打ち切りを検討する自治体が出てきていることからも明らかである。

朝鮮学校に通学する子どもたちも、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利である学習権(憲法26条第1項、同13条)を保障されている。そして、朝鮮学校は、六・三・三・四を採用し、学習指導要領に準じた教育を行っている。そもそも、朝鮮学校は、歴史的経緯から日本に定住し、日本社会の一員として生活する、朝鮮半島にルーツをもつ在日朝鮮人の子どもたちが通う学校であり、民族教育を軸に据えた学校教育を実施する場として既に一定の社会的評価が形成されてきた(大阪高裁平成26年7月8日)。

それにもかかわらず、子どもの教育を受ける権利とは何ら関係を持たない政治的理由により補助金の支給を停止することは、朝鮮学校に通学する子どもたちの学習権の侵害につながるものである。

また、朝鮮学校に通う子どもたちが、合理的な理由なく他の学校に通う子どもたちと異なる不利益な取扱いを受けることは、憲法14条などが禁止する不合理な差別的取扱いに当たり、憲法の理念を反映させた教育基本法4条1項の教育上の差別禁止の規定にも反し、我が国が批准する国際人権(自由権・社会権)規約、人種差別撤廃条約及び子どもの権利条約が禁止する差別にも相当する。2014年(平成26年)8月に採択された国連人種差別撤廃委員会による最終見解においても、朝鮮学校への補助金の不交付等の措置に対し、「朝鮮学校に対し地方自治体によって割り当てられた補助金の停止あるいは継続的な縮小を含む、在日朝鮮人の子どもの教育を受ける権利を妨げる法規定及び政府の行動について懸念する」旨の指摘がなされているところである。

当連合会は、全ての子どもたちが教育を受ける権利を平等に享受することができるよう、政府に対して、朝鮮学校に対する補助金交付の停止を、事実上、地方公共団体に要請している同通知の撤回を求め、また、地方公共団体に対しては、朝鮮学校に対する補助金の支出について上記憲法上の権利に配慮した運用を行うよう求めるものである。


 2016年(平成28年)7月29日

日本弁護士連合会
   会長 中本 和洋

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2016/160729.html


2: 2016/07/30(土) 12:37:57.56 ID:SyYkCDxE

日本国憲法は外国人には適用されません。


3: 2016/07/30(土) 12:38:05.34 ID:cXoqApC1

つまり、テロリストに組すると


5: 2016/07/30(土) 12:38:45.78 ID:g3+StKE8

おい、日弁連に破防法を適用しろ!

どうみても犯罪集団です。

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posted by 中島 at 11:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 在日

成田発大韓機、着陸時にパンクであわや大惨事

1: 2016/07/30(土) 13:10:02.34 ID:CAP_USER

 29日、済州空港に着陸した大韓航空機の前輪2つは完全に破損し、滑走路が一時閉鎖される事故が発生した。済州地方航空庁と大韓航空によると、同日午前9時45分ごろに成田を出発し、午前11時57分ごろ済州空港に着陸した大韓航空KE718便(737-900)の前輪が滑走路で破裂したという。この機種の前輪は2つ、後輪は4つだ。飛行機を着陸させる時は後輪から滑走路に降りて衝撃を吸収し、続いて前輪が接地する。

 事故時、前輪は2つとも破裂してボロボロになっていたほどだった。幸いなことに、航空機の重量を支える構造物に異常はなく、搭乗者156人(乗客147人、乗員9人)は無事だった。この事故で滑走路は午後1時14分まで1時間17分間閉鎖され、済州発の航空機2便が欠航した。

 国土交通部(省に相当)は「航空機が着陸した時は特に衝撃がなく、滑走路の路面の状態にも異常はなかった」としている。このため、タイヤ自体に欠陥があった可能性が取りざたされている。同機種のタイヤ交換周期は着陸224回に1回で、普通は1カ月に1回変えるという。事故機のタイヤは交換されてから15日たっており、再生タイヤではなく、新型タイヤだとのことだ。

済州=オ・ジェヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/30/2016073000545.html


4: 2016/07/30(土) 13:11:19.85 ID:3Ty+Nkux

もう韓国機
入国禁止にしろよ。


6: 2016/07/30(土) 13:11:26.44 ID:khjJ2Ntt

いつもの朝鮮人


7: 2016/07/30(土) 13:11:54.26 ID:fqE5dadG

チョン「成田でパンクさせるはずだったニダ」

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